山頂で叫んだ自由のメッセージ
1981年6月9日、韓国の民主化運動を象徴する指導者、金泳三(キム・ヨンサム)氏は、長く苦しい第1次家宅軟禁(国家権力によって外出を禁止され、自宅に閉じ込められること)から解放されました。
自由の身となった彼が最初に向かったのは、ソウルの北方に位置する三角山(現在の北漢山)でした。この日は単なるレジャーではなく、民主化への新たな連帯を誓う、歴史的な一歩となりました。
「民主山岳会」誕生の瞬間
この日の登山には、金泳三氏を支える側近の金守漢(キム・スハン)、崔炯佑(チェ・ヒョンウ)、金東英(キム・ドンヨン)ら10名が同行しました。セゴムジョンから始まり貞陵へと続くコースを共に歩いたこの集まりが、後に伝説的な政治団体となる「民主山岳会」の事実上の発足となりました。
「山にいるときはこれほど気分が良いのに、下山すると、まるで妙な世界に降りていくような気分だ。ひどく憂鬱になり、この心境をどう表現すればよいのか言葉が見つからない」
数日後の6月13日に道峰山(ドボンサン)へ登った際、金泳三氏は山を降りる虚脱感をこのように吐露しました。これは、当時の軍事政権下にあった韓国社会の重苦しい空気を如実に表しています。
なぜ「登山」だったのか?
当時、政治的な集会や結社は厳しく制限されていました。そのため、監視の目をかいくぐり、同志たちが堂々と集まることができる唯一の方法が、健康増進を名目にした「登山」だったのです。
- 監視の回避: 警察の追跡を逃れ、山中で密かに戦略を練ることができました。
- 団結力の強化: 険しい道を共に歩むことで、民主化への意志を再確認しました。
- 象徴的な意味: 高い山から世の中を見下ろす行為は、不正な権力に屈しない不屈の精神を象徴していました。
金泳三氏が山に登るたびに、民主化を願う人々の心もまた、一歩ずつ山頂へと近づいていったのです。



















