美術館の「境界線」をめぐる巨額プロジェクト

ロンドンを代表するナショナル・ギャラリーが、7.5億ポンド(約1,500億円)を投じた拡張計画「プロジェクト・ドマーニ」の設計者に、世界的な建築家である隈研吾氏を選出したと発表しました。

現在のサインズベリー棟の裏手にある1960年代のオフィスビルを取り壊し、西洋絵画の歴史を途切れることなく展示できる新たな空間を創り出す予定です。

「画家はいつから『オールド・マスター』(18世紀以前の偉大な巨匠たち)と呼ばれるべきか?」

この問いは、ナショナル・ギャラリーと、そこから派生した現代・英国美術の殿堂であるテート・ギャラリーとの間で、70年近く繰り返されてきた本質的な議論です。


「西洋の伝統」という言葉に隠された野心

ナショナル・ギャラリーは、自らのコレクションを「西洋の伝統」のコンティニュアム(複数の要素が連続してつながっていること)であると定義しています。

これまで同館は「西欧」の画家の作品を主に収集してきましたが、2014年には一度も渡欧経験のないアメリカ人画家ジョージ・ベロウズの作品を購入しました。これは、単なる地理的な制限を超え、より広い「西洋的伝統」をカバーするという明確な方針転換を意味します。

  • オールド・マスター: 伝統的に1800年以前の巨匠を指す。
  • 現代美術: 1900年代以降の革新的な作品を指すことが多い。
  • 境界の曖昧さ: 1912年の作品がどちらに属するかで、美術館同士の「獲り合い」が起こる。

これは、隣接するテート・ギャラリーがカバーする「現代アート」の領域に足を踏み入れることを意味しており、美術館同士の縄張り争いを象徴する出来事となりました。


歴史的な「煉獄」モデルからの脱却

かつてフランスの美術館では、作品を「格付け」するシステムがありました。現代の画家はまずリュクサンブール美術館に展示され、死後、時の試練に耐えたものだけが「天国」であるルーヴル美術館へ移されるという流れです。これを煉獄(天国に行く前に罪を清める場所)モデルと呼びます。

ロンドンでも同様に、テートで評価が定まった作品をナショナル・ギャラリーが「引き取る」という慣習がありました。しかし、テート側はこのシステムに反発し、自分たちの独自性を守ろうとしてきました。

予想される影響と課題

  1. 資金と寄贈者の争奪戦: 新しい翼ができることで、コレクターや資金援助者がどちらの美術館を支援するかに影響が出ます。
  2. 都市景観の刷新: 隈研吾氏の設計は、レスタースクエアとトラファルガースクエアを結ぶ新たな歩行者ルートを作ると期待されています。
  3. 老朽化した展示室の代替: 狭くて不評だった既存の地下展示室に代わり、アーティスト・イン・レジデンス(芸術家が滞在して制作するプログラム)のスペースなども確保されます。
結局のところ、アートは一つのつながりですが、限られた「予算」と「場所」をめぐる戦いは避けられそうにありません。新しい建物が完成したとき、私たちはそこにどのような「歴史の続き」を見ることになるのでしょうか。